寄稿文目次

「語り」は支えあい空間

2005年4月 全日本語りネットワーク
最近、出版したばかりの拙著『もっとお話と遊ぼう』(一声社)の中で、「よい聞き手になろう」という内容の一文を載せたところ、感想の手紙をいただきました。
「……修善寺の『全日本語りの祭り』で語った時、出だし、緊張してとちってしまい、頭の中が真っ白になってしまった一瞬もありましたが、聞き手の皆さんの反応があたたかくて、いつもの自分にもどることができました。聞き上手の方々のおかげで、普段以上にリラックスして語り終えることができ嬉しかったです。……」

「全日本語りの祭り」で参加者が、よい聞き手に出会って、よい語り体験ができてよかった、と心から思います。聞き手のまなざしが鋭い刃のようであったら、この方は緊張が解けぬまま語り終えなければならなかったことでしょう。
「語り」の空間は、語り手がいて聞き手がいて、お話のスピリッツを媒介として、見えない糸でつながれ、ひととき、同じ思いを共有する優しい世界です。語り手の「伝えたいおもい」に対して、聞き手の「うん」といううなずきがあり、支えがあってこそ成立する空間なのです。ですから心のバリアーを破って、互いを受け入れあうという最初の段階をクリアーしなければ、お話の真髄を共有する喜びも生まれません。語り手の側にも、聞き手の側にも、「つながりたい」という深い思いがあり、願いがあり、語りに込められた内容に対する聞き手の共感があり、その共感を語り手が受けとめ、また投げ返す、という目には見えない糸のつながりに支えられて、それぞれの「語り」が「語り」として成就していくのです。語りの空間はまさに支えあい空間なのです。

ときどき、すばらしい聞き手に出会います。瞳があたたかくて、微笑みもあたたかくて、お話をすっぽりまるごと全身で楽しんでくださっていることがわかる、神さまみたいな聞き手に出会うことがあります。そういう聞き手のオーラを感じると、語り手のオーラも呼応して、さらに多くの聞き手のオーラと呼応し始めます。まさに相乗作用です。
私たち語り手はいつだって、緊張とリラックスのはざまで揺れています。語る前、聞き手が受け入れてくれるかどうか、心配で息もできないくらいのときもあります。でもこんな嬉しい出会いの機会に感謝して、語りの一瞬一瞬をおもいきり愉しみましょう。語り終えたとき、聞き手とつながりあえたかどうかを自分にたずねてみましょう。

そして、「よい語り手」をめざす皆さん、「よい聞き手」であることも同時にめざしていきませんか?聞き終えたとき、語り手の命の吹き込まれた「ことば」をしっかり受け止めることができたか、自分にたずねてみましょう。
地球上で、いろいろと大変な事ばかり続きます。こんな時代だからこそ、「ことば」で伝える「語り」ワールドはますますその重要性を増していくことでしょう。足を引っ張りあったり、傷口を舐めあったりすることよりも大切なことがあるのです。互いに心をひらき、認めあい、「つながりたい」と切に願いつつ、一人一人が豊かな語り手であり、聞き手であることをめざしましょう。
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