寄稿文目次

昔話の守人たち

2006年7月 日本民話の会
つい先日、沖縄出身の宮川千恵子さんが「アカナー」の話を語るのを聞きました。そのあと、「沖縄の人たちは長いこと虐げられてきているから、私にはね、このお話の中のサルは権力者の象徴で、月へ行ったアカナーは民衆の願いのようなものに思えてならないの」と、千恵子さんが言うのを聞いて、はっとしました。先月も同じようなことを聞いたばかりだったからです。

4月22日(土)、23日(日)の2日間、代々木公園で開催された「アースデー東京2006」で、来日中のカナダ先住民トゥリンギットの人々の昔話を通訳しました。三話語られた中で、「ワタリガラスが光をもたらした話」に対しさまざまな感想が寄せられました。とりわけ、「光を独り占めしていた族長は、現代における経済優先大国と重なって見える」という感想が印象的でした。古代のお話とばかり思っていたのですが、トゥリンギットの人々にとっては現在かかえている状況そのものなのかもしれない、と思い至ったからです。楽しい愉快なお話という表層の水面下には現代にまで繋がる深いメッセージが込められていたのですね。

私は今、アメリカの語り手で民俗学博士でもあるマーガレット・リード・マクドナルドさんの「ストーリーテリング入門(仮題)」(10月、一声社より出版予定))を共訳者と翻訳中ですが、その本の「昔話を守る」という項目の中でマクドナルドさんは次のように述べています。「……大人向けの語りとして、丹念に磨き上げられた文学作品には高い芸術性があり、単に“子ども向けに語る”のとは水準が違うと言う人がいますが、まったくもってナンセンス。芸術とは“いかに準備に苦労したか”だとか、“発表の長さ”で測れるものではありません。芸術とは耳や心で測るものです。あなたが所有している単純な“子ども”の昔話が、どこかの文化圏では“大人”社会で尊重されているのかもしれません」 ……「うん、そうそう!」と深い共感をおぼえているのは私ばかりでしょうか?
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