伝えるということ

2006年12月 語り手たちの会
語りは支えあい空間
 最近私は、お話会でよくアフリカの昔話「ちびヤモリのゲッコ」(マーガレット・リード・マクドナルド著、末吉正子 末吉優香里 共訳『ストーリーテリング入門』所収。一声社2006年)を語ります。
 ひどい日照りで森の水が涸れ、動物たちが干上がった川床を掘る競争をするのですが、水は出てきません。全ての動物が諦めかけたとき、小さなヤモリのゲッコだけがくじけずに、「ゲッコ、ゲッコ、重いぞ、ゲッコ、水だ、水だ、み・ず・だ!」と歌いながら水掘りダンスを続けます。はじめのうち聞き手の子どもたちはシラけた顔をしています。「バッカみたい……」と言う子もいます。誰もゲッコを応援して一緒に歌おうとしてはくれません。しかし、他の動物たちがひどい野次をとばす場面あたりから、子どもたちの気持ちは変わってきます。暴言にもめげず、ちびヤモリのゲッコがひたすら堀り続けているとき、子どもたちは一緒になって歌い、手拍子を打ってくれます。応援歌の声はどんどん大きくなります。はじめから頼んでも子どもたちはのってはくれません。自分よりも弱い者を馬鹿にしたい気持ち、大きい者の言う通りにしていた方が無難さ、という気持ちなどの表層面の方が勝っていて、屈折しているのです。しかし、ひどい虐めのことばにゲッコが傷ついた後、子どもたちの気持ちは奮起します。ゲッコがとうとう水を掘り当て、やがてお話は大団円を迎えるのですが、その頃には子どもたちの表情は喜びに輝いています。ゲッコと一体化して、やり遂げた満足感で心が充たされているのです。まさに語り手の「伝えたい」気持ちが聞き手に届き、心が繋がる瞬間、私が語り手としての醍醐味を感じる至福のときでもあります。
 千葉大学教育学部の寺井正憲教授は「語りというコミュニケーション、この愛語の営み」(『実践国語研究№242』明治図書2003年)の中で、次のように述べています。
 <…語りによって語られる、部族や地域の言い伝え、家庭や個人で大切にされてきた話などの話題は、共同体が大切にしてきた文化や価値観、個人が大切にしてきた思いや心であって、それは語り手の愛着が凝縮したものである。大切にする心をいま「愛」という言葉で置き換えれば、語りは語り手の愛を聞き手に与える行為、愛を聞き手と分かち合う行為といえる。だとすれば、語るという行為は愛語(道元『正法眼蔵』「菩提薩埵四摂法」)の行いである。 語り手が自らの愛着を語り、聞き手は聞くことを通してそれに愛着を持ち、それが聞き手に幸福感を与える。そのことが語り手に感じられることによって語り手にも幸福感が湧く。…>
 上述のアフリカの昔話にはまさしく、共同体が大切にしてきた文化や価値観、個人が大切にしてきた思いや心が残っており、それはまた「私」という語り手の愛着が凝縮している作品でもあります。聞き手の子どもたちと分かちあうとき、それはとりもなおさず愛を分かち合う行為、道元さんの説くところの愛語の行いであるというわけなのですね。
 語りは語り手と聞き手との協同作業であるということは、これまでたくさんの語り手たちや研究者たちが述べてきたことです。私はよくaudience participation(聞き手参加型)のお話を語りますが、これはその協同作業をはっきり見える形にしているスタイルの語りです。でもたとえ、聞き手参加型のお話でなく、静かなお話を語っていても、見えない糸の引き合いは続いているのです。
 <…「語り」の空間は、語り手がいて聞き手がいて、お話のスピリッツを媒介として、見えない糸で繋がれ、ひととき、同じ思いを共有する優しい世界です。語り手の「伝えたい思い」に対して、聞き手の「うん」という頷きがあり、支えがあってこそ成立する空間なのです。ですから心のバリアーを破って、互いを受け入れ合うという最初の段階をクリアーしなければ、お話の真髄を共有する喜びも生まれません。語り手の側にも、聞き手の側にも、「繋がりたい」という深い思いがあり、願いがあり、語りに込められた内容に対する聞き手の共感があり、その共感を語り手が受けとめ、また投げ返すという、目には見えない糸の繋がりに支えられて、それぞれの「語り」が「語り」として成就していくのです。語りの空間はまさに支えあい空間なのです。…>『全日本語りネットワークニュース14号』「語りを語ろう 末吉正子」(2005年4月15日発行)
「伝える」-互いに好き合う仲で
 この文を書いた時、私は「語りの空間」の中で「伝え合う」気持ちがとても重要であることだけが意識の中にありました。「伝える」ことの、もうひとつの大切な要素にまで結びつけて言及するには至りませんでした。そうです。語りワールドにおける「伝える」には二つの大きな意味があったのです。聞き手とのコミュニケーションの意味としての「伝える」と、伝承の意味としての「伝える」。語り空間の中で聞き手とどう心を繋げるかという課題と、次世代への継承、この二つの「伝える」は表裏一体をなしていたのです。そのことに気づかせてくれたのは寺内重夫氏の次のことばでした。
 <・・・語り手と聞き手は互いに好き合う仲であり、互いに敬意を持ち合う仲でなければ昔話は継承されない。…中略…語り手は昔話の思いを伝え、聞き手は語り手の思いを受け止める。語り手は聞き手が、聞き手は語り手が好きになって、心が交流し昔話が継承される。だから昔話の語り聞きは理性的より感情的であり、語り手と聞き手の間に微妙な感情の揺れが生まれ、隙間ができれば心の交流は消え、昔話は継承されない。…>『ことばとかたち183.』(2006年9月1日)
 たしかに語り手と聞き手の間に隙間ができれば心の糸は繋がらないし、語りの空間は成立しません。従って「昔話は継承されない」というところにまで視野を広げて、寺内氏は語りの未来を見つめています。語り空間での心の交流と伝承の問題はコネクトされていたのでした。私たち語り手が、なぜこんなにも誰かに「伝えたい」と思っていたのか。なぜこんなにも聞き手と「繋がりたい」と願っていたのか。なぜならそれは、深層に未来へ繋げたい意識があったからだったのです。ということは、お話会は、語り手、聞き手両者が一体になり、未来へと継承していこうとする集団無意識に変化する可能性も孕んだ、一期一会のイベントだとも言えますよね。なんかすごいことになってきました。 スーパーなどで、お話会で出会う子どもたちのお母さんと立ち話をすることがありますね。それでこんなふうに言われたことがありませんか?
 「うちのおにいちゃん、お話会のあった日は、得意になって私と妹に話してくれるんですよ」「うちは学童におねえちゃん、保育園に弟が通ってるでしょ。お話聞いてきた日は、二人で競って、お話ししてるんですよ」
 子どもたちは語らずにはいられないのです。伝えたくて仕方ないのです。これって継承への無意識の欲求だったのですね。子どもたちをそんな気持ちにさせるお話を「互いに好き合う仲で」語り続けたいものです。
 
 ヒストリーキーパーであること、ストーリーテラーであること
 「伝承の語り手」「書承の語り手」ということばをよく耳にします。口頭で伝承されてきたお話、つまり、文字を介さない、自分の一族から聞いたお話を語る人を「伝承の語り手」、本からおぼえて語る人を「書承の語り手」というように分けているようです。そしてなぜか伝承の語り手がダイヤモンドで、書承の語り手はイミテーションという潜在的な格付けがあるようです。どんなに素敵な語り手さんでも「あの人は本から覚えて語る人よ」などとワンランク下の評価をされてしまう事実が、地方によってはあります。実際、私もそのような発言を耳にして、その発想と判定に心底驚いた記憶があります。「この人はおばあさんから聞いてきた人。あっちの人は会に入ってから勉強して、本から覚えた人」
 絶海の孤島で一族が何万年も隔離されて生きてきたというのならいざ知らず、いまどき電波や文字の影響を一切受けずに口頭だけで伝承されるなんてありえないのに、ずいぶんナンセンスな考え方、狭い評価だと思います。その何世代も前にすでに、御伽草子を読んだ誰某から聞いたお話を、さらにまた聞いた人から、また聞いた漂泊の放浪芸人が、木の下で一服している時に、行きずりの小間物屋に語り、その小間物屋が某家のご先祖様に語り、そのご先祖様から幼い頃に聞いたおばあさんが、今度は自分の幼い孫に語っているかもしれないではありませんか。その変遷の間に再話が繰り返されているわけですが、とまれ最初に御伽草子を誰かが読み、語った時点ではその誰かさんは書承の語り手だったわけです。で、それを聞いた人は耳から聞いただけで次に受け渡し、それを聞いた人がまた口語りで受け渡したら、伝承は始まっているのです。ということは、私という書承の語り手から聞いたお話を子どもたちが家で妹に語り、その妹が幼稚園でほかの子に語ったら、その子たちの間で伝承が始まっているというわけですよね。
 伝承の語り手と呼ばれている方からこんなことばも聞きました。「わたしの管理してきた話は全部、Bに受け渡した。これからはBだけはわたしの話を語ってもいいよ」 これを聞いたとき、私はなんだか歯車が噛み合わない感覚を覚えたことを思い出します。一緒にこの発言を聞いていた友人がこっそり「まるで家元制みたいね」と囁きましたし、私も「まるで特許みたいだな」と思いました。「昔話にも知的財産所有権があるのかしら?」 けれどもそのとき私はなぜか、それだけではない、語り手の真摯な気持ちを感じてもいました。「発想の根本に、私などのうかがい知れないものがあるのではないかしら?」 自分たちの歴史を後の世の証として残すべく口伝えに伝えてきたものかもしれませんし、その家だけのお話として門外不出で語り継いできたものの中には、秘薬、媚薬、の秘伝のほかにも、他の一族には明かせない負の遺産、を封じ込めてきた場合もあるかもしれません。そうだとしたら、たしかに誰彼かまわず語れるものではないだろうし、たしかにお話を改ざんすることなど許されるはずもありません。「あの人は伝わったことだけじゃなくて、相手を喜ばせようとして面白おかしく話を変えちまうんだよなあ、困ったことに」…「おばあさんから聞いた事実」「伝承されてきたことをその通りに受け渡すこと」だけが本分と考えている人のこの意見を聞いたときに、その時点での私は「なぜそれがいけないの?」と問い返すことができませんでした。お話の楽しさを分かち合おうとする語り手は本流ではないという評価を受けることになるのでしょうか?私の考えは行きつ戻りつしていました。そして少なくともそういった雰囲気の感じられるところでは、臆病にも私は外国のお話だけを語っていました。「私の日本民話」を語る勇気など微塵もありませんでした。
 これらのモヤモヤした気持ちが、2005年12月18日、語り手たちの会公開セミナーにおける桜井美紀さんの発言で一気に晴れました。
 <「あなたはストーリーテラーですか」という私の質問に答えて、ポーラさんは「いいえ、私はヒストリー・キーパーです。ストーリーテラーはヒーラー(癒し手)として仕事をする人です。私は歴史を伝える者で、ストーリーテラーではありません。」とおっしゃいました。同じように口語りの物語を受け継ぐ者でありながら、自分たちのアイデンティティを確立するための歴史を物語るヒストリー・キーパーと、聞き手を落ち着かせ、悲しみを和らげ、生きることを励ます物語の語り手であるストーリーテラーは役割が違うといわれたのでした。>『語りの世界42号』(2006年6月1日発行)
 …そういうことだったのでした。ストーリーテラーとヒストリーキーパーの違いが理解されていなかったのです。整理して考えればよかったのに、「伝承の語り手」の役割の中で、ヒストリーキーパーという要素と、ストーリーテラーとしての要素がぶつかり合っていたのです。誰も悪気はない、それぞれ真面目に課されたことを守ろうとしていただけだったのでした。「わたしの管理してきた話は全部、Bに受け渡した」と言って私を驚かせた人はストーリーテラーというよりもヒストリーキーパーとしての意識の強い人だったのです。
 こういった混沌の中で、右往左往して臆病になっているなんて語りの文化の損失です。「伝承の語り手」とか、「書承の語り手」とかいった区分けは民俗学者のしたことです。その区分けをした民俗学者とて、よもや語り手同士の葛藤を招くようになるかもしれない、などと予想だにしていなかったことでしょう。語り手にどちらが上も下もない、と私は信じます。「ひと」に向かって、「ひとの魂」に向かって語りかけようとする人であるならば、その人が真の語り手だと私は信じます。
 
 語り手は楽しませる人・名もなき人々の鎖につながって
 櫻井美紀著『昔話と語りの現在』(久山社 1998年)所収「大工と鬼六の出自」「味噌買橋の翻案と受容」には、明治以後、外国のお話が翻案され日本の昔話としてポピュラーになっていった例が論証されています。これを伝えた語り手は「書承の語り手」「伝承の語り手」などという意識はなかったと思います。ただ楽しいお話を提供したくて単純に、日本の風土に合わせて変えたのです。
 『太陽と月の詩146号』(2002年8月1日発行)に、大島広志氏が、グリムの翻案の日本における変遷に言及し、次のような巻頭言を寄せています。
 <…ただ、そこに、日本の子どもたちに、もっと楽しいお話を、目の前にいる子どもたちにもっと楽しいお話を聞かせたいという人たちがいたことは確かです。50年も80年も前、さまざまな工夫をしながら、子どもへのお話に、情熱をもって取り組んだ名もない人々がいたのです。まさに“種を播く人”であったのです。>
 と、氏は述べ、最後にこう結んでいます。「何ものにもとらわれず、目の前の子どもたちに、もっと楽しいお話を!これが、私の現在の語り手へのメッセージです。」

 2006年8月25日、語り手たちの会研究交流係の企画で、アメリカのストーリーテラー、アントニオ・ホーシャのお話会とワークショップが催されました。パントマイムをとりいれたビジュアルな語りに場内は沸き立っていましたが、このとき大柄のアントニオのすぐ真上に熱いライトがありました。後で知ったことでしたが、展示用のライトをステージ用と間違えて使用してしまったのです。司会の私が数分立っているだけで、気持ち悪くなるほどの異常な暑さでした。私より50センチメートル身長の高いアントニオはその分だけライトに近づいて、それこそ熱演していたわけです。滂沱と流れ落ちる汗の量もすごいものでした。灼熱のライトの真下で外国人のストーリーテラーをあれだけ頑張らせたものは一体何だったのでしょうか?それこそ、ことばの壁を越えて、「伝えたい」その一念だったと思います。前述『ストーリーテリング入門』でマーガレット・リード・マクドナルドは「語りは暗誦することでもなく、演ずることでもない。「伝える」ということだ」と述べていますが、アントニオの真摯さはまさにこれを具現したものでした。
 マクドナルドは「昔話は変遷を繰り返し、多様な類話があるのと同じように、語りのスタイルもさまざまです。これぞ正統のスタイルなどというものはありません」とも主張しています。ダイアン・ウォルクスタイン採話、清水真砂子訳『魔法のオレンジの木』(岩波書店 1984年)には歌い踊りながら語る語り手とそれを取り巻く聴衆、「伝え合い」のエネルギーの爆発とも言えるような語り手と聞き手の交流の様子が鮮やかに描き出されています。海外の語りの祭りに行けば、まさに百聞は一見にしかず、多様なる語りをおおらかに受け入れあう姿を目の当たりにすることでしょう。語りを狭い枠の中に押し込めるのはもうやめにしませんか?名もなき人々から受け渡され、綿々と繋がった鎖の一端に私たちは今いるのです。この鎖を伸ばし、さらに伝えていくのが私たちの役目なのですから。
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