語りの祭りから見た現代日本の語り手たち、
そして次世代への継承を考える

2008年3月 日本昔話学会

語りの現場から

1.「全日本語りの祭り」に集う人々
「語る楽しみ、聞く楽しみを分かち合おう!」という合言葉のもとに、全国の語り手が集う「全日本語りの祭り」は「全日本語りネットワーク」(運営委員長 佐藤凉子)と各地の実行委員会との共催で、二年に一度、10月、場所を変えて開催されている。1992年、埼玉県秩父市において第一回が開催されて以来、関係者の熱意と努力のもと、二回、三回と引き継がれ、2008年には岩手県遠野市で第九回目が開催される予定である。
  「語り」という人と人との心をつなぐ営みを寿ぐこのイベントに集う人々は、さまざまである。プロとして活動している人、地域でのボランティア活動をしている人、伝統的な語り手、都市の語り手、そして年齢差も、さまざま…なのである。そしてまた、グループによって、語り手によって、語り理論・語る目的・語りのスタイル、も、さまざま…である。その壁を超えて、「語りが好き」というたったひとつの共通の気持ちの上に立って、全国の語り手が集い、交流する。その交流の輪の中で新しい何かが生まれる。
  様々な語りを楽しみ、それぞれの違いに触れるとき、新鮮な発見がある。互いを認め合い、語る楽しみ、聞く楽しみを共有するその空間は大きな親和力に包まれている。日本の語りの多様さ、豊かさを実感し、明日の語り文化への明るい希望を確信するときでもある。そして閉会式のとき、「二年後にまた会いましょう!」と再会を約束して、語りの仲間たちが全国各地に帰っていく姿を見送る時、「語りの輪」は着実に広がっていくのを感じている。
開催場所 参加者(延べ人数)
第1回 1992年、埼玉県秩父市 404名
第2回 1994年、山形県南陽市 800名
第3回 1996年、山口県徳山市 1700名
第4回 1998年、沖縄県宜野湾市 582名
第5回 2000年、群馬県桐生市 662名
第6回 2002年、鳥取県境港市 600名
第7回 2004年、静岡県伊豆市 1700名
第8回 2006年、福島県会津若松市 2457名
第9回 2008年、岩手県盛岡市(予定)

参加者の増加と意識の変容
  これまでの殆どの語りの祭りは次の内容で進行されてきた。
@全体会 記念講演・地元の文化に触れるアトラクション・ゲストの語り
A分科会 語りのテーマごとに会場が分かれ、参加者が語る。
B夜語り 宿泊先で大部屋三〜五部屋に分かれて、参加者が語る。

  ABは参加者による語り、となっているが、「主役はあなたです」という文言が入り、「参加者が創る語りの祭り」というコンセプトを打ち出すようになったのは第五回目の案内パンフレットからである。それまでは、語り手をよく知っている司会者は進行しやすかった(言い換えれば司会者の知り合いばかりが語っていた)が、そうでない司会者にとって進行は気骨の折れる仕事だった。「潜在的語り希望者を発見したい」「参加者一人一人が祭りの創造者であるという意識を抱けるように、気楽にエントリーできる雰囲気をつくりたい」という願いから、試行錯誤の末、第七回より「参加申込書」に「語り希望欄」を設けるようになった。このようにして、会場で手を挙げる勇気のない人でも、申し込み時に演目を書いて郵送できるようになって以来、宿泊参加者、語り希望者とも増加傾向にある。ちなみに、2006年、会津若松市で開催された「第八回全日本語りの祭りin会津」では、10月7日から9日までの三日間に、のべ2157人、なんと400話以上のお話が語られたのである。


各語りの祭りの特徴 その1 ゴーストストーリー
   @ABのほかにも、各語りの祭りによってそれぞれの特徴が挙げられる。第五回・群馬県桐生市、第六回・鳥取県境港市、第八回福島県会津若松市では夜のゴーストストーリーが呼び物だった。これはアメリカ・テネシー州で開催される世界最大規模の語りの祭り「ナショナルストーリーテリングフェスティヴァル」で行われるゴーストストーリーに倣って、野外での夜の闇を背景にした語りコンサートとして始まったものである。ことに第六回目の美保関神社境内での豪雨の中での会は圧巻であった。第八回のときは教会が会場となった。
     
各語りの祭りの特徴 その2 あちこち語り場
    会津の語りの祭りの特徴としては、語りの祭りの二日目に、七日町周辺十箇所、各テーマにそった「語り場」が26コマ設けられたことである。つまり、分科会の会場をひとつの建物内だけではなく街全体に散らし、街の数箇所同時進行で語りの会が催されたのである。
前述のナショナルストーリーテリングフェスティヴァルでは、テネシー州ジョーンズボロという小さな町の六箇所に千人収容の大テントが張られ、同時進行で語りのコンサートが催される。この大テントでは国内外から招かれたゲストのストーリーテラーが語っているわけであるが、それとは別に、誰でも申し込めば語れる小テント(名称:「スワッピンググランド」)もある。
  「アメリカの語りの祭りの二つのコンセプトを小規模にまとめたら、日本の語りの祭りの参加者が、祭りの創造者、として、より能動的に参加できるのではないだろうか?」…毎回、語りの祭りをコーディネートしてきた、全日本語りネットワーク側の思いと、「県外からやってきた参加者に町の良い所をできるだけ多く紹介したい」という地元実行委員会の願いが結びついて、「あちこち語り場」という案が生まれた。
  第七回、伊豆市修善寺町での語りの祭りでは、アメリカに倣って野外の「語り場」を多く設けたのであるが、雨にたたられ、急遽、屋内の会場に変更を余儀なくされたため、第八回の会津若松市では蔵座敷や寺、など屋内の「語り場」がはじめから用意され、内容的にも充実した語りを堪能する一日となった。
各「語り場」のテーマは下記のとおり。「人間模様」「若・松・城の物語」「神々と精霊の物語」「大地と水の物語」「辻まわりの紙芝居」「親子で楽しむお話会」「会津の語り手たちの部屋」「あいづ物語 愛・会・哀」「鳥獣草木の物語」「世にも不思議な物語」「誰でも語り場」
 このテーマを案内パンフレットに載せ、このテーマに添った演目を一般参加者から募った。かくして、会津若松市七日町周辺はこの日、全国からやってきた語り手の語る話の花で賑わったのである。
     
熱い思いはどこからくるか
    このように、試行錯誤が繰り返され、回を重ねるごとに、語りの祭りの内容が変化してきている。演目も昔話、創作文学に加えて、パーソナルストーリー等、多彩に語られるようになった。聞くだけの祭りから、自ら参加して創る祭りへと、参加者の意識の変容もみられるようになった。会津の「あちこち語り場」では、十時から四時半の半日だけで261話が語られた。この熱気、「語りたい!」という思いはどこからくるのか?キーワードは「コミュニケーション」「インタラクション」だと思う。
・ 伝えたい
・ 聞き手と思いを共有したい
・ 繋がりたい
お話を媒介として、語り手たちは「ことばによる相互のあたたかいふれあい」を切望し、自身の思いを表現したいと願っているのである。
     
「語りの祭り」という視座から見た日本の現代の語り手たち〜その現状と問題点と展望  
    語りの祭りの参加者ばかりでなく、現在、日本で語りの活動をしているほとんどの語り手は、普段は学校、保育園、幼稚園、老人ホームなど、地域での語りのボランテイア活動をしている人々である。こういったボランティア活動をしながら、大人向けの語りの会を開催している語り手やグループもある。最近では大人が語りを楽しむ会も多くなったが、語り手、聞き手ともに、依然として女性が圧倒的に多い現状である。前述のナショナルストーリーテリングフェスティヴァルでは、男性の語り手や聞き手が女性と同じくらい参加していたことを思い出し、つい比較してしまう。これから始まる団塊の世代のリタイアと共に、日本でも男性の語り人口が増加することを期待している。
  さて次に語り手の中味の問題であるが、「現代の語り手は作品を一字一句違わず丸暗記して語る」という声をよく耳にする。地域によっては依然として(残念ながら)、丸暗記した話を、目を白黒させながら文字の通り暗誦することを「語り」と勘違いしている語り手もまだたくさん存在している現状であることも否めない。「文字に縛られている語りを聞くのが苦しいから、もう語りの祭りには行かない」といった声を聞いて無念の思いを噛みしめたこともある。だが、前回の会津若松市における語りの祭りではそのような暗記型の語りが激減していたことを報告しておきたい。これまで「都市の語り手」と呼ばれ、本から覚えて(丸暗記して)語る、と思われていた人々が、資料を元に再話し、自らの言の葉を紡ぎ出し、聞き手と共に「語りの親和的空間」を創り出している様子を私は何度も目にした。また、こんな嬉しい感想も寄せられている。
  「…感じたことは、語り手のレベルが上がっていることでした。数年前までは、丸暗記の文章を並べるような語り手が多かったのに対し、今年は語り手なりに消化をして語っていらっしゃる素晴らしい方が多いのに驚かされました。やはり、「語る」と云うことがどんなものなのかに目覚め始め、認識され始めた証だと感じられたひとときでした。…とのしげを」
     

「伝承の語り手」「書承の語り手」、そして「昔話の守り人」  

    また、もうひとつ現代の日本の語りの世界が抱えている問題点のひとつとして、「伝承の語り手」と比較して「書承の語り手」が一段下のような意識のもとにランク付けされている地域もあることを挙げておきたい。「この人はおばあさんから聞いた話をその通りに継承している本物の語り手」「あの人は会に入ってから、勉強して本から覚えた人。だからどんなにうまくても、本物とは言えない」といった発言を聞いて驚いたことがある。こういった発想が生まれるもとに、フィールドワークに出かけた研究者の何気ない発言がもとになっているケースもあることを知り、さらに驚きは増した。
  もし、どうしてもランク付けをしたいのなら、生まれ育ちにではなく、昔話の精神を継承しようとするその姿勢に対して判断基準を置くべきである。
     「昔話の語り手」としての役割の中には、以下の二つの要素が含まれていると思う。注1
@「目の前にいる聞き手を楽しませる。癒す」役割。
A「自分たち(一族)の存在証明を確立するための歴史を語るために、話を受け継ぐ」役割。
    現代の日本の昔話の語り手の大半は、「伝承の語り手」「書承の語り手」いかんに関わらず、前述@とAの役割を、意識的に、あるいは無意識に併せ持っている。Aの意識を強く持った「伝承の語り手」であったとしても、人に出会い、人に語り、人を楽しませようという意識が芽生えれば、@の要素は無意識に混ざってしまう。また、時と場合と人によっては、@の意識とAの意識が、個人あるいはグループの内部で激しくぶつかり合うこともある。互いに誠実に@とAの役割を務めようとして反目する場合もある。
  これらの混迷が整理されないまま、すぐれた語り手同士が互いを尊重しないのは語りの文化の損失である。この点もまた、日本の現代の語り手が抱えている問題点のひとつとして、昔話研究、口承文芸研究に携わる研究者の方々に心に留めていただきたいと願っている。
  私の場合、多くの「都市の語り手」と同様、特定された一族や特定地域の歴史を語る語り手ではない。だが、「地球」という特定地域に生きてきた人類からのメッセージを伝える、という普遍的な意味においては、「昔話の守り人」であると言えると思う。昔話を語る語り手は全員、誇りを持ってそう言えると思う。
  語り手にどちらが上も下もない。ヒトに向かって、ヒトのタマシイに向かって「とどけたい」と切に願い、語りかけようとする人が真の語り手であると、私は信じている。語り手同士が、互いを認め合い、高めあってこそ日本の語りの文化はさらなる発展を遂げることであろう。その意味においても、「全日本語りの祭り」の継続は希望の灯りとしての役割を担っていると考えている。  
   
2.子どもの語り〜次世代への継承
    会津若松市での語りの祭りの「あちこち語り場」では、「梁川ざっと昔の会」の横山幸子さんの指導による「子ども語り部」21人が、いきいきと昔話を語った。福島県ばかりでなく、現在各地で「子どもが語る」ことを推し進める試みがなされているようである。
  私の語り手としての活動も学校公演や地域でのお話会に加えて、日本国語教育学会主催「国語教育全国大会」で、2002年より毎年、語りのワークショップを行うなど、国語教師の研修会での語りワークショップが増えてきている。また、「子どもが語る」授業のお手伝いをすることも多くなった。
  これは「豊かで確かなことばの力をはぐくむ国語教育の創造」のために「語り」に着目し、「語り」の授業の必要性を感じている教師が着実に増えてきているためと思われる。語りボランテイアの語りを「聞く」だけでなく、教師も語り、子どもも語る授業が模索されている。子どもが再話して語ることを目標に、一年生から六年生まで、全校レベルで授業展開を試みている学校もある。
  これらの授業の結果、「ことばの力の育成」だけではなく、語り空間における相互作用を子どもたちが体感することによって、コミュニケーション能力が育成され、人間としての生きる力の育成に通じることを教師たちは発見していく。
  子どもたちは「語る」ことによって、「聞く」力も養われていくようである。実際、大人よりも聞き上手の聞き手に育つ様を私は何度もまのあたりにしている。また、「語る」ことによって、(自らのことばとして紡ぎ出すことによって、)昔話の中に含まれる先人たちの豊かなメッセージを、子どもたちは、より深く身体の中に取り込んでいく。昔話が次代に継承されていくのである。
  地域への愛着を分かち合うコミュニティづくりと国語教育を結び付けて授業展開を行った、千葉県銚子市立高神小学校の吉野和宏教諭より次のような報告がある。
  「語りを行う際、地域の民話集をもとにするわけだが、民話や伝説の場所を見学し、地域の方や郷土史家にインタビューしたり、家族から話を聞くなど、多様なコミュニケーションが行われる。その結果、民話は完全に自分のものとなり、かけがえのないものとなる。そのエネルギーが、自分にしか語れない、愛着ある脚本づくりに結びつき、書くことの力を口上させる。校内のテラブレーションで語りを披露する場面でも、同様に作用し、語ること(話すこと)を豊かにしていく…後略」注2
  「語り」はかつて、もっと普遍的な文化であった。学校教育の中で、さらにシェアを伸ばせるよう願っている。  
     
3.参加型語りの提言   
    語りのワークショップや、お話会で私はよく、聞き手の子どもたちも一緒に歌ったり、繰り返しの言葉を唱和したりしてお話を進行させていく「参加型のお話」を語っている。
  語りの空間は語り手と聞き手の協同作業によって成立するもの、とよく言われているが、聞き手も語り手と共に語りを分担する参加型の語りは、まさにこの協同作業を目に見える形にしているスタイルの語りである。
  その形態も、  
    @聞き手が、語りに合いの手を入れるもの。
A聞き手が、お話の中に出てくるリズミカルなことばの繰り返し、決まり文句、歌を語り手といっしょに唱和するもの。
B手拍子や動作が加わるもの。
C語りの中に劇遊びが組み込まれていて、聞き手が登場人物として参加するもの。
    他、さまざまあるが、子ども達、特に幼児、低学年の子たちは嬉々としてお話の進行に参加してくれる。聞き手が「聞いて頷く」だけの受動的な形から、もう一歩進んで、自分たちも声を出し、身体を動かしてお話の進行に能動的に関わってくる双方向の語りなので、語り手も聞き手も一体感を味わいながらお話が進んでいく。
  例えば、台所の道具お化けの話「バビブベボバ化け」注3では、
     「♪バンバンバンガラリン!」
 「♪ビンビンビンガラリン!」
  …と、お化けの踊りを一緒に歌い、会場内はお化けになった気分の子どもたちの大合唱になり、子どもたちのエネルギーがはじけ飛ぶような熱気につつまれる。
  出会った者を次々と呑みこんでいく「ゴックン・オトラ」注3(ノルウエイの昔話)では、   
     「♪わたしゃまだまだはらぺこさ、
 おかゆちょっぴり、水ちょっぴり、
 ご主人様にガッツキオオカミ、
 クマの子ルンルン、クマかあちゃん…」
    …と、リズミカルなことばを、語り手や仲間と共に唱和していくうちに、子ども達は自然に登場人物全員を暗誦してしまう。こういうときの子ども達は皆、いい顔をしている。幸せな笑みが溢れている。子どもたちのことばを育て、心をつなぐ役割りも果たしているのである。
  このようにして、聞き手も声を出し、たっぷり楽しんだお話は、身体の中にリズムと共に残っている。無理な暗記も必要なく、楽しみながら自然にお話をおぼえることができる。「参加型の語り」は知らず知らずの内に、子どもたちに口承技術を伝達するという機能も果たしているのである。次世代への継承の可能性のひとつとして「聞き手参加型の語り」を提言したい。  

 注1 参考『語りの世界42号P7・43号P55』語り手たちの会発行 
 注2 参考『語りに学ぶコミュニケーション教育 上巻P100』 寺井正憲 編著 明治図書 
 注3  参考『お話とあそぼう』所収。末吉正子 編著 一声社 
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