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寄稿文目次

「語り手」と「語り部」と「ストーリーテラー」 
〜 呼び名いろいろ、解釈いろいろ 〜

2008年12月 語り手たちの会
「すみません。語り手たちの会の会場はどこでしょうか?」「ああ、カタリベさんなら今日はセンター棟ですよ」(カタリテタチって言ったのに……) こんなひとコマは珍しくもない。「カタリベの末吉正子さんです」と紹介されるのは度々のこと。いつぞやは某図書館の館長さんから、「ストリートテイラーの末吉正子さん」と紹介されて、講座のはじめからずっこけた。(ストリートテイラーって……道端の仕立て屋さん???)

「語り手たちの会」とか「全日本語りの祭り」などで活動していると、「語り」「語り手」という言葉が人口に膾炙していると思いがちであるが、残念ながらそうでもないらしい。また「語り」の範囲も自分たちの行っている形式のみと狭義にとらえがちであるが、実は人によって「語り手」に対する解釈も様々なのである。 ある朝、NHK大河ドラマのナレーション朗読担当の女優さんがモーニング番組に登場し「私の語り手としての役割は……云々」と述べておられた。テレビ画面には、マイクの前で台本を読んでいる映像が映し出されている。(え?語り手?呼称が間違ってない?)そばにあった電子辞書(広辞苑)を引いてみて、「語り」の4項に目が釘付けになった。衝撃的な解説を見つけてしまったものだから。 語り:C演劇・映画などで、ストーリーを進行させるために行う朗読。ナレーション。……「語り手」という言葉は、世間一般には「ナレーター」として認知度を高めていく傾向にあるのかもしれない。

「私は語り手です」と言うと、「朗読をされるのですか?」とよく尋ねられる。「いいえ、読むのではなくて、語りをするんです」と答えると、「ああ、語り部さんですね」と、質問者は勝手に納得している。どうやら、「語りをする人=語り部」という認識の方が一般的のようだ。しかし、「語り部」という呼び名は本来、特定の一族や地域の伝承を伝える人、の意味ではなかっただろうか。「村の伝承の語り部」「原爆の語り部」「語り部と歩く熊野古道」という使われ方ならまだ納得がいくのだが……「ヒストリーキーパーの役割を担った部の民」としての「語り部」のイメージが私の中には多分にあるものだから、自身をそのように自称するのは抵抗がある。(もっとも宇宙規模で考えたら、「私も地球という星の語り部です」と言えないこともないのだが。)ところがつい先日、こんな解釈も耳にして、またまたぶったまげてしまった。「語り部なんて名乗るのは早い。語り部は語りをしてお金稼げる人のことだよ……」 フーン、世の中いろいろ、呼び名も解釈も独り歩きするんだなあ……。

小説の紹介欄などで時折、「巧みな語り口」とか「すぐれた語り手」などと、評している推薦文を目にすることがある。この場合の「語り手」とは無論、私たちのように声でお話を伝える人ではなくて、作家。物語を創作し、文字で伝える人のことである。創り手であることには違いはないけれど、表現方法は全く違っている。それもこれも皆「語り手」である。某英会話スクールに通っていた頃、”I am a storyteller” と自己紹介すると、殆どの先生(イギリス、オーストラリア、北米、からやってきた若者たち)は「小説家」と解釈していた。彼らの中で「わたしも幼い頃、母さんから昔話を聞いたわ」と応えてくれたのはアイルランド人とアフリカ系アメリカ人の女性2人だけだった。欧米のフツーの若者の間では、「storytelling」 や「storyteller」 はそれほど馴染みのある言葉ではないらしい。「私はストーリーテラーです」と言ったら、「まさかぁ〜ご冗談を」という応対をする若者もいた。Storytellerにはliar(うそつき)という意味もある。うーん、日本語でも「語りは騙り」っていうものねぇ。